大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和58年(ワ)4482号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告槌野益丸に対し金二三〇〇万円、原告槌野由紀子に対し金二八〇〇万円及び右各金員に対しいずれも昭和五八年六月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、東京マタニティー・クリニックという名称の産婦人科の診療所を経営する医療法人であり、訴外柳田洋一郎医師(以下「柳田医師」という。)は、被告の代表者理事で院長である。

(二) 原告槌野益丸(以下「原告槌野」という。)は、故槌野恵子(以下「恵子」という。)の夫であり、原告槌野由紀子(以下「原告由紀子」という。)は恵子の実子である。

2  医療契約

恵子は、昭和五四年九月五日、被告において柳田医師の診察を受け、被告との間で出産に関する診療契約を締結し、以後柳田医師の診察を継続して受けるようになり、昭和五五年三月一一日、被告に出産のため入院した。

3  医療事故の発生

恵子は、被告に出産のため入院中の昭和五五年三月一二日午後一時二九分ころ、薬物性ショックにより呼吸困難発作に陥り、続いて意識障害出現、昏睡状態となり、同日午後一〇時ころ、国立東京第二病院救命救急センターに転入院したが、以後意識状態の改善がみられないまま、同年五月六日午後三時二五分ころ、同センターにおいて死亡した。

4  被告の責任

被告の柳田医師には、恵子との間の診療契約の履行につき、次のような不完全履行ないし過失があつたところ、恵子の死亡はこのような債務不履行あるいは過失によつて生じたものであるから、被告は原告らに生じた後記損害について賠償の責任がある。

(一) 事前検査・診断の不充分性

柳田医師は、恵子について昭和五四年一一月九日以降前置胎盤との診断を下し、帝王切開による出産を予定していたところ、順天堂大学産婦人科竹内久弥講師(以下「竹内講師という。)から前置胎盤ではなく、経膣分娩は可能との診断が寄せられたため、従前の前置胎盤との診断を放棄し、出産方法についても一応経膣分娩と変更した。右変更にあたり、柳田医師は改めて竹内講師の診断に基づいて検証をせず、また、竹内講師に診断について問合せもせず、恵子の分娩前の状態につき充分検査すべき義務があるのにこれを怠つた。

(二) 事前説明義務違反

(1) 柳田医師は、帝王切開から経膣分娩の出産方法の変更及び昭和五五年三月一二日に分娩誘導をすることについて、原告及び恵子に充分説明すべき義務があるのにこれを怠つた。

(2) 麻薬に属するペチロルファン(以下、薬剤名には適宜その効能、目的等をあらわす説明をつける。)や、使用法を誤ると異常な子宮収縮を起こし過強陣痛のための子宮破裂や胎児の仮死を生じる子宮収縮剤であるオキシトシンを用いての計画分娩を行なうにあたつては、その必要性や副作用について患者や家族に充分説明したうえで当該方針について同意を得るべき義務があるのにこれを怠つた。

(三) 治療方針の矛盾と不適切

(1) 当初、同年三月一二日の昼間に分娩誘導する計画であつたが、同日午前〇時二〇分ころ自然に陣痛が発来した以上、自然分娩による出産方法を選択すべきであつたのに、柳田医師は漫然と昼間の分娩に固執し、内診その他何らの現状チェックもせずに、同日午前一時二四分、被告の副院長根岸駿夫医師(以下「根岸医師」という。)は鎮痛剤、精神安定剤であるセルシン及びペチロルファンを恵子に筋注し、分娩時間を遅せらた。

(2) 三月一二日午前九時の分娩誘発などの効能を有するアトニンOの点滴は、三月一一日午後の恵子入院時に既に決められていたもので、同月一二日午前一時二四分に分娩時間を遅らせるための薬物を施用していることからして、恵子の症状に応じた医学上の必要措置を講じたものではなく、病院側の都合に合わせて行われたもので、無理な陣痛促進であつた。

(3) 三月一二日午前一一時八分におこなわれたセルシン及びペチロルファンの恵子への筋注は時期的にもアトニンOとの併用という点からしても合理性を欠くものであつた。

(4) 恵子のような異常のある患者に、無痛分娩を行なうのは不適切な治療方針である。

(四) 薬物投与を行なう際の注意義務違反

アトニンOの点滴は、有効至滴濃度に対する個人差が大きいため、僅かの過剰投与によつても過強陣痛を招く怖れがあり、まれにチアノーゼ、虚脱等のショック症状が現われることがある。したがつて、点滴を行なつている間は十分な知識を持ち訓練を受けたものが患者を継続的に観察し、必要な場合は医師がいつでも必要な措置が取れるような体制にしておくべきであり、分娩誘発、微弱陣痛の治療の目的で使用する場合は、子宮収縮の状態及び胎児心音の観察など分娩監視を充分に行なうべき義務があるのに、柳田医師は、これを怠り、分娩監視装置を恵子からとりはずし、看護婦らは隣室の詰め所にいて継続的な観察を怠つていたため、恵子がブザーを鳴らすまで恵子の容態の変化に気づかなかつた。

(1) 恵子はショック発生と同時に、呼吸停止、全身チアノーゼ発現の状態に陥つたのであるから、適切な呼吸管理、有効な酸素投与を確保すべきであるのに、被告の医師らは漫然とマスクによる酸素吸入を行なうに止まり、挿管の時期が遅れた。

(2) 循環系機能昂進のためのカルニゲンの一回の投与量は少なすぎる。

(3) ショック時に真つ先に投与することが治療上の常識とされているソルコーテフ投与の時期が遅れた。

(4) 恵子は女児出産後出血が激しく、全身色不良、顔面・体躯蒼白、四肢末端チアノーゼが発現するに至つたのであるから、直ちに輸血を開始すべき義務があるのにこれを怠つた。

5  損害

(一) 逸失利益 二四〇〇万円

恵子は昭和二六年八月二五日生まれで、死亡当時二八才の家庭の主婦であり、生存していたら得るであろう利益は二四〇〇万円を下らない。恵子の死亡により原告槌野はその三分の一にあたる八〇〇万円を、原告由紀子はその三分の二にあたる一六〇〇万円をそれぞれ相続した。

(二) 葬儀費用 三〇〇万円

当時の経済事情、原告らの社会的環境などに鑑みると、恵子の葬儀費用として原告槌野が出捐した金員のうち、三〇〇万円は被告において賠償するのが相当である。

(三) 慰謝料 各一〇〇〇万円

原告らは、恵子の死亡により妻、母を失つたもので、このような原告らの苦痛を慰謝するには、原告らに対し各一〇〇〇万円の支払いをもつてするのが相当である。

(四) 弁護士費用 各二〇〇万円

原告らは本件訴訟の提起について、原告らの本件訴訟代理人に依頼し、事件の完了後に報酬として各二〇〇万円を支払うことを約した。

よつて、原告らは被告に対し、診療契約の不完全履行による損害賠償又は不法行為に基づく損害賠償として、原告槌野は二三〇〇万円、原告由紀子は二八〇〇万円及び右各金員に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五八年六月九日から完済まで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因事実に対する被告の認否及び主張

1  請求原因事実に対する認否

(一) 請求原因1及び同2の事実はいずれも認める。

(二) 同3の事実のうち、恵子が呼吸困難発作などを起こした原因が薬物性ショックであるという事実は否認し、その余の事実は認める。

(三) 同4の事実は否認し、主張は争う。

(四) 同5の事実は知らない。

2  被告の主張

(一) 原告主張の(一)ないし(四)の過失について

恵子のショックの原因としては、頭蓋(脳)内出血、脳栓塞、その他の原因が考えられるが、薬物性ショックは考えられない。なぜなら、薬物性ショックは、多くの場合薬物投与後五ー三〇分以内に発症し、前駆症状として発赤、発疹、掻痒感、鼻づまり、くしやみなどの症状が見られる点に特徴があるのに、薬物投与とショック発生の時間的間隔の点、前駆症状の点においていずれも本件の場合にはあてはまらないからである。また、恵子に対するペチロルファン、アトニンOの使用量では薬物性ショックを誘発することは医学上あり得ない。柳田医師などが投与した薬物によりショックが生じたものでない以上、被告病院には(一)ないし(四)の過失はない。

加えて、(三)の治療方針の矛盾と不適切をいう点については、昭和五五年三月一二日午前九時の時点で恵子は微弱陣痛による分娩遷延の状態にあり、漫然と経過を観察することは産科学上適当ではなく、陣痛の促進を行う適応が存在したため子宮収縮促進剤であるアトニンOを投与したもので、結果的にも同日午後四時三〇分ころ女児を経膣分娩により出産したことから見て、右適応に対して軽度の陣痛促進法を行つたことは医学上適切な処置であつた。

(二) 原告主張の(五)の過失について

恵子は、ショック発生と同時に意識喪失となり、その改善の余地は全くなく、ショック発生時に不可逆的ショックに陥り救命不可能であつたのであり、原告の主張する過失と恵子の死亡との因果関係はない。

(五)の(1)については、患者の全身状態、場所、人員、設備等を考慮し、患者の肺内に必要な酸素を供給する方法を取ればよいのであつて、右目的を達成できる限り、必ず気管内挿管をしなければならないというものではない、恵子の場合、ショック当初より気道は確保され、酸素マスクによる酸素吸入により、酸素は容易に肺内に供給され、気管内挿管を早急に行なう必要はなかつた。また、恵子のチアノーゼがすぐに緩解しなかつたのはショックに伴う循環器系の障害によるもので、挿管を行なうか否かとは関係はない。

(五)の(2)については、恵子のショックの原因としては脳内出血等脳の異常も想定される状況で、このような場合、血圧を上昇させることはむしろ危険であり、大量の昇圧剤を投与することは避けなければならない。

(五)の(3)については、ソルコーテフは、心臓の機能や自発呼吸等を回復させるという特定の作用はない。ショック時に他の処置を取つてみても功を奏さないというとき、その後の処置としてソルコーテフを投与してみるのが医学の常識である。また、恵子の生命維持に関する基本的機能は、ショックの瞬間に失われたものと考えられ、ソルコーテフを投与しても、恵子の臨床像の経過には何らの変化も与えなかつたものと考えられる。

(五)の(4)については、出産による出血は胎盤娩出により生ずるものであるところ、柳田医師は胎盤娩出から約二三分後、出血量約五〇〇CCの時点で輸血用血液の手配を行なつている。恵子については、血管が確保され、乳酸加リンゲル液で輸液が開始され、酸素呼吸がされていたのであるから、医学上出血量が一〇〇〇ミリリットルを越えた時点で輸血を開始すればよい、したがつて、柳田医師の輸血開始時期に問題はない。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1及び同2の事実は当事者間に争いがなく、同3の事実は、恵子のショックの原因が薬物性ショックによるものであるとの点を除き、当事者間に争いがない。

二  本件医療事故の経過

1  《証拠略》によれば以下の事実を認めることができる。

(一) 恵子は、昭和五四年七月二八日から八月二三日までの間、国立水戸病院で切迫流産のため入院した後、昭和五四年九月五日、被告を訪れ柳田医師の診察を受けた結果、妊娠一三週相当、胎児の発育は正常で、分娩予定日は昭和五五年三月一六日(二八日型)または同月一八日(三〇日型)と診断され、妊婦に対して通常行われる諸検査を受けたが、格別異常は認められなかつた。

(二) その後、恵子は昭和五四年一〇月二日、一一月五日と被告に通院し、柳田医師の診察及び妊婦に対して通常行われる検査を受けたが、格別異常は認められなかつた。ただ一〇月一六日に恵子から被告に性器出血があつた旨の連絡があつたが、その後出血が続くということはなかつた。

ところが、昭和五四年一一月九日の柳田医師の診療の結果、恵子は、部分前置胎盤と診断され、超音波検査の結果によつても前置胎盤が確認され、胎盤と子宮の間及び子宮内部には出血を思わせるエコーフリーの像が認められたため、用心のため同日被告に入院したが、翌日に至るまで出血もなく腹緊も認められなかつたので一一月一〇日に被告を退院した。

その後の恵子の被告への通院状況と前置胎盤に対する柳田医師の診察及び超音波検査の結果は以下のとおりである。

すなわち、一一月一九日には、完全前置胎盤、一二月一二日には、前回診察時の完全前置胎盤から部分前置胎盤に胎盤の位置が上昇し、昭和五五年一月九日には、部分前置胎盤一月三〇日には、前回診察時の部分前置胎盤から辺縁前置胎盤に胎盤の位置がさらに上昇し、二月九日には、辺縁前置胎盤から低置胎盤となり、二月一五日には辺縁前置胎盤あるいは低置胎盤かという状態となり、二月二二日には再び胎盤が子宮口全体を覆う明らかな前置胎盤の状態となつた。そこで、柳田医師は恵子に帝王切開をしたほうがよいと説明したが、恵子は帝王切開はしたくないという意向を示した。二月二九日、柳田医師は、診察の結果、前置胎盤との診断を得たので、恵子に帝王切開の必要を説明したところ、恵子において経膣分娩を希望したので、当時被告で使用していた超音波装置では胎盤の縁が子宮口についているかどうか(これにより辺縁前置胎盤か低置胎盤か決まる)まで診断することが難しかつたことを考慮して、恵子の同意を得て、三月四日に、恵子に当時超音波診察の権威であつた順天堂大学産婦人科の竹内講師の超音波診察を受けさせることとし、この検査の結果前置胎盤ということであれば、三月五日に被告で帝王切開することを恵子との間で合意した。

三月四日、恵子は竹内講師の超音波診察を受け、胎盤下縁はかなり低位で内子宮口部より二センチ程度まで達しているが、前置胎盤ではなく脱落模様の肥厚が著明で、経膣分娩は可能との内容の報告書を原告槌野とともに柳田医師に持参した。

そこで、柳田医師は恵子及び原告槌野に対して、竹内講師の右報告を前提として出産方法を帝王切開から経膣分娩に変更すること、恵子の場合には万一の出血のおそれが否定できないので、充分人員が揃つており、また、慈恵大学大須賀講師が被告に来院する三月一二日に分娩誘導することを説明し、恵子及び原告槌野の同意を得て、恵子を三月一一日に被告に入院させた。

(三) 恵子は三月一一日午後に入院したが、入院時の恵子の子宮口の状態は、〇ー一・五センチ開大、伸展度〇ー一〇パーセントという状態であつた。同日午後九時ころ恵子は軽い腹緊を訴え、午前〇時ころには腹緊が顕著となり下腹部痛を訴えるようになつたため、三月一二日午前〇時二〇分より分娩監視装置(以下「分娩モニター」という。)の使用を開始し、分娩モニターにより四ー五分間欠の陣痛が確認されたので午前〇時五〇分に恵子を病室から陣痛室へ移した。午前一時一〇分ころの恵子の子宮口の状態は、二センチ開大、伸展度六〇パーセントという状況であつた。

午前一時二四分、しばらく休みたいとの恵子の希望もあり、セルシン一アンプル及びペチロルファン一ミリリットルを根岸医師の指示により被告に勤務する内田衣子助産婦(以下「内田助産婦」という。)が恵子に筋注した。その結果、恵子の陣痛の間欠は四ー五分の弱いものであつたのが、五ー六分間欠の弱いものとなつた。

午前一時四〇分から、陣痛中及び分娩中の静脈路確保、脱水防止のため輸液を開始し、以後午前六時ころまでの陣痛の間欠は四ー五分で、陣痛が弱い状態で推移した。

午前九時ころの恵子の子宮口は、入院時の状態と変わらず、陣痛も五ー九分間欠であつた。このころ、恵子の入院時である三月一一日の午後の柳田医師の指示のとおり、内田助産婦が恵子にアトニンO二単位を五〇〇CCのラクテックGに薄め、自動点滴装置を用いて毎分三〇滴の割合で点滴を開始した。

午前一〇時一二分ころの恵子の子宮口は、二センチ開大、伸展度五〇パーセントという状態であつた。

陣痛が順次強くなり二分間欠となつたので、午前一一時八分、根岸医師の指示で内田助産婦がセルシアン一アンプル及びペチロルファン一ミリリットルを恵子に筋注した。右筋注によつても、恵子の陣痛の間欠は二分の規則正しいもので、陣痛が弱まることはなかつた。

午前一一時五〇分の恵子の子宮口は、三・三センチ開大、伸展度五〇パーセントで、このころ、出産間際の患者が被告に入院したため一旦分娩モニターを恵子からはずし、午後〇時四三分再び使用を開始した。

午後一時一〇分ころの恵子の子宮口は、四センチ開大、伸展度七〇パーセントに至り、柳田医師は午後三時から五時ころまでのいわゆる日勤の時間帯に出産は終了するものと予想した。

(四) 午後一時二九分、分娩室のブザーが鳴り、内田助産婦が恵子のところへ赴くと、恵子が気持ちが悪いというので深呼吸を促したところ、恵子は、突然、呼吸停止、意識消失、全身に強度のチアノーゼが発現するというショック状態に陥り、内田助産婦は直ちに恵子の気道を確保するとともに、陣痛室の隣に位置する看護婦詰所にいた他の看護婦及び助産婦合計三名に恵子の異変を知らせた。看護婦らは、直ちに、マスクを用いて酸素吸入を開始し、トリスムス(痙攣により舌を噛むこと)を防ぐため開口器を恵子の口に挟み、根岸医師及び柳田医師に恵子の異変を知らせた。

根岸医師は恵子の状態をみて、マスクを用いて酸素加圧呼吸を開始し、昇圧剤であるカルニゲン二分の一アンプルを投与するよう指示するとともに、設備の充実した手術室へ恵子を移し、手術台へ乗せた後、加圧呼吸を継続し、ハートモニターを装着したところ恵子の心拍が聴取され、酸素は容易に肺に入り気道が確保されていたが、血圧は測定不能で、午後一時四〇分ころ、恵子は、全身チアノーゼが顕著で、自発呼吸はなく、全身が弛緩している状態であつた。

午後二時ころに恵子の気管内に挿管し、このころ、全身色やや良好となるも血圧は測定不能であつた。

午後二時一五分ころから、恵子に自発呼吸が出てきたが、その意識は回復しなかつた。このころ、根岸医師は脳内出血を予想し、いずれも止血剤であるアドナ、トランサミンを恵子に投与した。

午後二時二〇分、大須賀講師の指示により恵子にソルコーテフ一〇〇〇ミリグラムを静注した。

午後二時四〇分ころ、恵子の血圧測定が可能となり、間もなく一九〇/一〇〇位に急上昇し、頻脈となつた。

午後三時ころそれまで通常の半分くらいの値で聴取されていた児心音が聴取不能となつた。

午後三時四五分ころ、ショック発生時より柳田医師が連絡をとり、ショック取り扱いについての指示を得ていた国立東京第二病院麻酔科の川添医師と宮尾医師が被告に来院して、恵子の全身管理にあたつた。

(五) 午後四時二〇分、子宮口が全開大となり、午後四時三〇分、恵子は、女児を死産し、午後四時三二分、用手剥離にて胎盤を娩出した。

胎盤娩出後、出血が続き、血圧が再び測定不能となり、全身色不良、四肢末端にチアノーゼが出現した。右出血について、止血傾向がなかつたので、血液凝固検査を行なつたところ、フィブリノーゲンが非常に少なくなつており、DIC(産婦性の血管内凝固症候群)の疑いが認められたので、午後四時五五分、恵子に対しフィブリノーゲンの輸液を開始するとともに、柳田医師は日赤血液センターに輸血用血液を発注した。

午後四時四〇分ころ慶応病院脳外科戸谷医師が被告へ来院した。

分娩後、測定不能となつていた恵子の血圧が午後五時一五分ころから再び測定可能となり、午後五時二〇分までの出血の総量は約一二九七ミリリットルであつた。午後五時五五分から恵子に対し濃厚赤血球の輸血を開始した。

引き続き恵子の意識は回復しなかつたが午後七時ころから血圧は一〇〇以上を維持するようになり、全身状態は不良であるが著変はなく、一応安定した状態となつたので、原告槌野の同意を得て、恵子を設備の充実した国立東京第二病院の救急救命センターへ転院させるべく、午後九時三〇分恵子らは被告を出発した。

分娩後から午後九時三〇分までの恵子の出血の総量は、約二六四九ミリリットルで、輸血の総量は約一八〇〇ミリリットルであつた。

以上のように認められる。原告槌野本人の供述のうちには、恵子がショック状態となつた後の薬剤の使用状況などについて、右認定と異なることを供述する部分があるが、《証拠略》によれば、乙第二号証中の看護記録及び術後経過表は看護婦や助産婦らが薬剤の投与や患者の状況を測定するごとに時間の経過と伴に適宜記載したものであることが認められるのに対し、原告槌野本人の右記録に記載のない部分についての供述は確たる裏付けとなる証拠がないので、原告槌野本人の右供述部分は採用し難い。

三  恵子の死因について

《証拠略》によると、恵子の死亡の直接の原因は、脳白質変性症であることが認められるが、右脳白質変性症が起こつた原因について、原告は恵子の死因は薬物性ショックによると主張するので検討する。

《証拠略》によると、薬物性ショックは多くの場合、薬物投与後五ー三〇分以内に発症するが、しばしばまず発赤、発疹、掻痒感、鼻づまり、くしやみなどの前駆症状が現われることが認められる。

そこで、これを本件についてみるに、前二項に認定した事実経過によれば、恵子のショック症状の発現は、アトニンOの点滴開始後約四時間以上を経過した時点、また、二度目のセルシン及びペチロルファン投与後からでも約二時間三〇分が経過した時点であり、恵子に薬物性ショックを窺わせるような前駆症状が発現したことが疑われる事情もみられなかつたのであるから、恵子に発現したショック症状が、薬物性のものとまではいえないし、他に、薬物性に起因するものであることを裏付ける医学的証拠は存しない。

以上より、恵子に脳白質変性症を惹起せしめた原因は証拠上不明といわざるをえない。

四  被告の責任について

1  不法行為責任について

(一) 事前検査、診断の不充分性について

原告は、柳田医師が出産方法についての帝王切開から経膣分娩への変更について竹内講師の診断に基づく検証、同講師への問い合せをせず、恵子の分娩前の状況を検査すべき義務を怠つたと主張する。

《証拠略》によれば以下の事実が認められる。

(1) 前置胎盤とは胎盤の一部または大部分が子宮下部(子宮峡)に付着し、内子宮口に及ぶものをいい、内子宮口にかかる程度により、全前置胎盤(胎盤が内子宮口を覆うもの)、部分前置胎盤(胎盤が頚管が閉じているとき内子宮口を覆うが、全開大したときは覆つていないもの)、辺縁前置胎盤(胎盤は内子宮口に達しているが、それを覆つてはいないもの)に分類されるが、低置胎盤(胎盤の下縁が子宮下部に達しているもの)は前置胎盤に含まれない。

(2) 本件事故当時被告にあつた超音波装置では胎盤が子宮口に達しているかどうか、すなわち辺縁前置胎盤か低置胎盤かを判断することは困難であつた。

(3) 前置胎盤の場合は、その出血による母体死亡という重大な可能性があることから、出血のため分娩を余儀なくされたときには前置胎盤の程度にかかわりなく、すべて帝王切開とする方が安全であるが、経産婦の部分または縁前置胎盤の場合は経膣分娩の可能性がある。

そこで、これを前二項に認定した事実に照らし合わせてみるに、竹内講師の超音波診察を受ける前の恵子の状態は、柳田医師の診断では辺縁前置胎盤か低置胎盤かの状態であつたのだから、経膣分娩の可能性があつたものの、帝王切開の方がより母体にとつて安全であるというものであつたといえる。このような状況下で前記のとおり当時超音波検査の権威であつた竹内講師の経膣分娩が可能との判断を得て、柳田医師が帝王切開から経膣分娩へ出産方法を変更したことは、竹内講師の超音波検査の専門家としての診断能力と柳田医師の一般開業医としての診断能力を比較すれば、それなりの合理性を認めることができ、柳田医師にはそれ以上に竹内講師の検査結果を改めて検証したり、同講師に判断内容を問い合せるべき義務が存するとまではいえず、原告の主張には理由がない。

(二) 事前説明義務違反について

(1) 原告は、柳田医師が出産方法を帝王切開から経膣分娩に変更した点などについて恵子及び原告槌野に充分説明すべき義務を怠つたと主張するが、前二項で認定したとおり、柳田医師は三月四日に右の点について恵子らに一応説明をしており、原告の主張には理由がない。

(2) 柳田医師は、原告は麻薬であるペチロルファンや子宮収縮剤であるオキシトシンを使用するにあたつては、その必要性などについて恵子及び原告槌野に説明すべき義務があるのにこれを怠つたと主張する。

全証拠によつても、柳田医師がペチロルファンやオキシトシンの使用を恵子及び原告槌野に説明した事実は認められない。

一般的に、患者が治療目的を了承している以上、医師がその治療目的達成のために医学上一般的に用いられかつ医学的に安全性が認められた薬剤のなかでどの薬剤を選択するかは、医師の裁量の範囲に属し、例外的な場合を除いて、選択した薬剤の必要性などについて患者及びその家族に説明すべき義務があるとまでいうことはできないというべきである。

そこで、これを本件についてみるに、《証拠略》によれば、ペチロルファンは、分娩第一期(陣痛が開始して子宮口が全開大するまでの期間)に、産婦の緊張をとり、分娩を促進させるために通常に用いられる麻薬であり、オキシトシンも分娩誘発のために通常一般的に用いられる薬剤であること、いずれも安全性について医学的に認められた薬剤であることを認めることができ、また、前二項で認定したとおり、恵子は、三月一二日に分娩誘導により出産することを了承して被告に入院しているのだから、柳田医師にペチロルファンなどの必要性などについて恵子及び原告槌野に説明すべき義務があつたとまではいうことはできず、原告の主張は理由がない。

(三) 治療方針の矛盾と不適切について

(1) 原告は、柳田医師が、まず、三月一二日の深夜に、昼間の分娩に固執して根岸医師をしてセルシン及びペチロルファンの筋注をして分娩時間を遅らせ、続いて、同日午前九時ころ医学上の必要性がないのにアトニンOの点滴を開始して無理な陣痛促進を行ない、さらに、同日午前一一時八分ころ、時期的にもアトニンOとの併用という点からしても合理性を欠くにもかかわらず、再びセルシン及びペチロルファンを筋注したもので、このような処置は前後矛盾するものであると主張する。

〈1〉 二回にわたるセルシン及びペチロルファンの筋注について

《証拠略》によれば次の事実を認めることができる。

イ セルシンは鎮痛剤、精神安定剤で、ペチロルファンは合成麻薬であり、いずれも分娩第一期に産婦の緊張を執り、陣痛の痛みを和らげる目的で投与されるものであるが、ペチロルファンには筋弛緩作用があるため、子宮収縮が弱いときにペチロルファンを投与すると陣痛が弱くなつてしまうことがある。

ロ 経産婦が陣痛開始から分娩にいたるまで平均約六ー八時間を要する。

以上を、前二項で認定した経緯に照らしてみると、午前一時二四分のセルシンなどの筋注により恵子の陣痛の間欠は四ー五分から五ー六分になつているが、午前一一時八分のセルシンなどの筋注によつては、恵子の一ー二分の規則的な陣痛の間欠に影響を与えていないことからすると、恵子に筋注された程度のセルシン及びペチロルファンには、自然に発来している陣痛を多少弱める作用があるが、後記に述べるようにアトニンOにより強化された陣痛を弱める程の筋弛緩作用はなかつたといえる。

確かに、同日午前一時二四分のセルシンなどの投与により陣痛は弱まつているのだから、右薬剤を投与しなかつた場合に比すれば、分娩時間を遅らせることになつたことは予想されるが、前記のとおりの陣痛が弱まつた程度を勘案すれば、右時間における右薬剤の投与は、分娩時間の遅延にさほど影響を及ぼすものではなかつたと推認される。

また、恵子の陣痛が開始したのは午前〇時二〇分ころで、午前一時二四分にセルシンなどを筋注した時点では、恵子の出産までになお数時間を要する状況にあつたことを考え合わせると、午前一時二四分の時点で、恵子をして昼間に分娩をさせるべくことさら分娩時間を遅らせるための薬剤を投与する必要性があつたとまではいえない。

以上よりすれば、二回のセルシン及びペチロルファンの投与は、産婦の緊張をとり、陣痛の痛みを緩和する目的で投与されたものであると解するのが相当である。

〈2〉 アトニンOの投与について

次に、《証拠略》によれば以下の事実を認めることができる。

イ アトニンOはオキシトシンを成分とする薬剤で、分娩誘発などの効能を有する。通常は、アトニンOの五ー一〇単位を五〇〇CCのぶどう糖液に混入して点滴により静注する。

ロ 正常分娩における陣痛開始後の子宮口は、正常経産婦の場合約三時間あまりで、また、経産婦の平均でも約四時間で開大度一〇センチに至る。これに対し、微弱陣痛の場合、平均して陣痛開始後約九時間を経過しても子宮口開大度は約二センチ弱の状態に止まる。

ハ 微弱陣痛による過度の分娩遷延は周産期死亡を増加させ、微弱陣痛の治療として非常に希釈したオキシトシンの点滴静注を行う。

これを、前二項で認定した経緯に照らし合わせてみると、アトニンOの点滴を開始した午前九時の時点で、陣痛が開始した午前〇時二〇分ころから約九時間弱が経過しているのに、恵子の子宮の状態は、子宮口一・五センチ開大、伸展度一〇パーセント、下降度マイナス二・五センチで、陣痛の間欠は五ー九分というもので、この時点で恵子は微弱陣痛の状態にあつたと見ることができ、この治療の一方法として、アトニンO二単位を五〇〇CCのラクテックGに混入して点滴を行つており、通常用いられるより希釈したオキシトシンの点滴静注を行なつたといえる。

これに対し、《証拠略》によれば、分娩誘発を試みる場合、頚管成熟度と子宮筋の感受性の有無を判定することが重要であること、そこで、頚管成熟度の程度を判定するビショップスコアが七点以上に達していれば、オキシトシンでその目的が達せられるが、逆に一ー二点の症例では陣痛誘発はほとんど失敗に終わつてしまうことが認められるが、前記のとおり、午前九時のアトニンOの点滴開始により、五ー九分間欠だつた陣痛が一ー二分間欠の規則的な陣痛となつており、この時点でのアトニンOの点滴開始が右薬剤の使用のタイミングを誤つたものであるとまではいえない。

以上よりすれば、午前九時の時点で、恵子には分娩を促進すべき医学上の必要性が存したといえる。

〈3〉 したがつて、二回のセルシン及びペチロルファンの投与は陣痛の痛みの緩和のため投与されたもの、アトニンOは医学上の必要性に基づいて陣痛促進のためになされたもので、治療方針に矛盾があるとまでは認めるに足りず、原告の主張は理由がない。

(2) 原告は、恵子のような異常のある患者に、無痛分娩を行なうのは不適切な治療方針であると主張する。

前二項で認定したとおり、恵子は、竹内講師の超音波診察を受けるまでは、前置胎盤か低置胎盤か診断がつきかねるという状態で、竹内講師の診察により経膣分娩は可能であるが、なお、出血の可能性があるという状態ではあつたが、薬剤投与の際に恵子に生理的な異常があつたとまでは認められない。

したがつて、原告の主張はその前提を欠き理由がない。

(四) 原告は、アトニンOの投与に際し、恵子の分娩監視を充分に行なうべき注意義務を怠つたと主張する。

《証拠略》によれば以下の事実を認めることができる。

(1) アトニンOの点滴開始時には、過強陣痛などが出現するので、安定した子宮収縮の発来をみるまでは、医師は持続的に産婦監視をすることが望ましいとされている。

(2) 本件医療事故当時、産婦人科病院における分娩モニターの普及率は低かつた。

(3) 本件医療事故当時、分娩モニターは被告に一台しかなく、前記認定のとおり突然出産間際の患者が被告に入院し、分娩直前に分娩モニターを使用する必要性が高かつた。

(4) 恵子について分娩モニターの使用を中止していた間も恵子の全身を見渡せる場所に位置する看護婦詰所で四人の看護婦ないし助産婦が恵子の全身状態を監視していた。

そこで、アトニンOの点滴後の監視については、本件医療事故当時の分娩モニターの普及率を勘案すれば一般的に常に分娩モニターによるべきとまでは言えない。また、前二項で認定した経緯に照らし合わせてみても、恵子についてはアトニンO点滴開始から既に約三時間弱を経過し、安定した子宮収縮をみている時点で、分娩モニターの使用を一時中止したもので、中止時間では恵子に格別異常はなかつたことからすれば、恵子について一時分娩モニターの使用を中止したのは止むをえない処置であつたといえるし、分娩モニターの中止期間中も看護婦ないし助産婦が恵子の監視を継続していたのであるから、柳田医師が監視義務を怠つたとはいえない。

したがつて、原告の主張には理由がない。

(五) ショック発生後の処置に関する注意義務について

(1) 原告は、恵子のショック発生後、適切な呼吸管理、有効な酸素投与を確保する義務があるのにこれを怠り、気管内に挿管が遅れたと主張する。

しかし、前二項で認定したとおり、内田助産婦によりショック発生と同時に気道確保の手段がとられ、続いて、根岸医師により器械を用いた加圧呼吸がなされており、また、気道の確保と加圧呼吸による酸素吸入により酸素は肺内に送られており、早急に挿管を実施する必要は認められなかつたというべきである。

したがつて、原告の主張には理由がない。

(2) 原告は、カルニゲンの一回の投与量が少なすぎると主張する。

《証拠略》によれば、根岸医師は恵子のショック発生原因として脳内出血を疑い、それに対応する処置を講じたこと、一般に、ショック発生時には末梢血管が収縮の状態にあるので、昇圧剤を盲目的に使用してはならないとされていること、カルニゲンは昇圧剤で、静脈注射の場合、能書きには二分の一アンプルを瀕回に投与せよとされており、一アンプル使用すると血圧が急激に上昇することがままあることが認められる。

これを、前二項で認定した経緯に照らしあわせてみると、根岸医師が恵子のショック発生原因として脳内出血を疑つたことは、他に、原因の見当たらない本件において一応の合理性があると考えられる。したがつて、カルニゲンの一回の投与量が少ないとまではいえない。

(3) 原告はソルコーテフの投与の時期が遅れたと主張する。

《証拠略》によれば、ソルコーテフは抗ショック作用を有する薬剤であること、ソルコーテフは血管拡張剤としての効果、血管の透過性を低める効果を期待できるが、速効性はないことが認められる。

したがつて、ショック発生時に直ちに患者に投与すべき薬剤とまではいえず、前記認定のとおり、恵子の気道確保、酸素加圧呼吸、気管内挿管の後ソルコーテフを投与していることを総合すれば、ソルコーテフの投与が遅かつたとまではいえない。

(4) 原告は恵子への輸血の開始時期が遅かつたと主張する。

《証拠略》によれば、分娩時の異常出血量が五〇〇ミリリットルを超えた時点で出血に対する処置を行なうこととし、血管が確保され、血漿代用剤などで輸液が開始され、酸素吸入がされているときには、輸血に切り換える時期は出血量が一〇〇〇ミリリットルを超える時点でよいとされていることが認められる。

これを、本件の場合に照らし合わせてみると、日赤血液センターに輸血用血液を発注した午後四時五五分ころの恵子の出血量がどれ位であつたか証拠上明らかではないが、午後五時二〇分ころの恵子の出血量は約一三〇〇ミリリットルで、この時点ではすでに、血管の確保、フィブリノーゲンによる輸液が開始されており、酸素吸入もされていたのであり、輸血が開始されたのが午後五時五五分であることからすれば、輸血の開始が遅かつたとまではいえない。

(六) 以上のとおり、原告らが指摘する点は、いずれも被告の医師の処置が不適切であつたということはできない。

2  債務不履行責任について

前記認定のとおり、被告は恵子に対し、同人が被告に出産のため入院することを承諾したのであるから、被告と恵子との間で、妊娠、分娩に関する医療契約が締結されたものというべく、したがつて、被告は、その当時の一般開業医の医療水準に則した適切な診療を行なうべき契約上の義務があつたというべきである。

しかし、不法行為責任の有無について判示したように、柳田医師らがした医療措置についてはこれが不適切であつたものということができないから、被告には原告らの主張するような債務不履行責任があるということはできない。

五  結論

以上の次第で、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなくいずれも理由がないというべきであるから、本件各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒井真治 裁判官 三輪和雄 裁判官 尾立美子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例